LOSA_ERIKAの日記

芸能界隈を素人が視た雑感を勝手に書き綴る内容。

イッテQの大島親方復帰と入院復帰したスギちゃんの共通点

 

 

ベッキーの事は色々思う所を過去に書いてきたので、今回は書かないのでご了承ください。タイトル通りです。

 

 

実力低下のまま復帰する事の悲劇。

イッテQ大島親方の存在意義

「ああ、時代が変わったんだな」と思いました。大島さんが復帰し現場に戻った存在感で場の雰囲気が一気に覇気や面白さが溢れだした!…とは全く思えなかった事が恐怖を感じた。マジです。

彼女の居場所がなくなった気がしたからです。

出産した人間が職場復帰するな、とは決して思いません。

ただ大島さんに「芸人の力」が急激に低下した気がしました。新人芸人が虚勢張ってる感じ?緊張してる感じの方が強くて、面白さが全く…。

でも、安心したのは、ゆっPを「一喝」したあの「威圧感」。そこは錆びてないな、と思ったので、彼女たちのマネージメントや監督的なポジションの方が適職では。

「お笑いリハビリ」さえ面白くなかった。まだテレビに出すレベルじゃあ無かったと思う。本人もそれは感じてるんじゃないのかな。親方返還に異議を唱えたのは自分の実力低下の自覚があったんじゃないかな、と思った。

実力が衰えると職場復帰しても居場所がないって世知辛い…。

過去の人にならぬように、姿だけでも視聴者に見せたスギちゃんパターン。

彼も売れに売れている真っただ中に現場の事故で入院し、復帰したけれど…見事な復帰とは言い難かった。番組の帯は「スギちゃん復活」と題した程スタッフも他の芸人も彼の復帰を喜んだ。当然「元気であるポーズ」だけで済むはずもなかった。ネタを見せてようやく視聴者mお芸人同士も安心する訳だし、ディレクター側も「まだ健在」と認知する訳で。

詰めが甘かった。

ガチでの身体の完治をアピールした事で存在感を視覚的に認識させる目的だったと思う。事務所側は。何かネタをさせてもちょっと気の利いた一言で済むと思っただろう。

けれどそうはいかなかった。本人も感じただろうけれど、思った以上に、肝心の芸や合いの手の歯切れが悪かった。挙動不審だった。丸で素人の様な間に、現場が一生懸命取り繕って、逆手に取ってスギちゃんをイジル方向性に舵を取って、何とか終えた。

「スギちゃん!今はお笑いリハビリ!リハビリしよう!」

「そうそう!戻ってきた!?そのノリ!!帰って来て!」

と、ガヤや雛型も必死だった。意外性にウケは取れててそれはそれで美味しかった形になったけれど。

二人の共通点と言葉に対する脳機能の低下の恐怖

そこで二人の共通点は、どんなに口達者で芸を売りに第一線で活躍していた人達も、ひとたび「一般人」としての期間が長期にわたると、頭の回転が鈍くなる。

よく、腕は鈍っちゃいないね、と聞くけれど、手は覚えていても、口が武器の人達は別なんだな、と思った。トークだとアドリブが多く、そうなると適切な語彙をいかに良きタイミングで引き出せるか。言葉が出てこない。ああいう表現ってなんていうんだっけ。ノリが思い出せない。脳機能って言葉をつかさどる所の方が手先の作業や動作よりも早く衰えてしまうのだろうか。

私は、正直なところ、物事を把握する力や語彙や表現、人名や表現力が明らかに衰えている事を実感している。テレビを視ていても理解できない事もある。矛盾点だらけで、何度も巻き戻して見直してしまう。

「何でだろう」そう考えた時に思ったのは、明らかに会話量が減ったからだ。人の間、空気、忘れてしまったかのようだった。

通勤で嫌と言うほど何年も通った路、駅、懐かしいという気持ちよりも不安でいっぱいだった。都内の地下鉄に乗った時、同年齢の女性を見て自分が時代に取り残されたかのような感覚だった。外見、基本動作。浮世離れとでもいうのか。オノボリさんになった気分を味わった。子どもの初めての東京見学みたいなサマ。挙動不審だったと思う。

何よりも咄嗟に言葉が出てこない。皆が求めてるノリは解るのに、身体と言葉がノリに追い付いかない私。

大島親方と、スギちゃんの復帰した時の姿と自分が、重なった。痛々しかった。

世間様と第一線で復帰する為には、日ごろから友達や家族とトークしないとダメだ。特にコミュ障を持つ私は正しい対人スキルも低下しているだろう。

 

結論:ペルソナを見つけて日頃の相手を見つけて、リハビリにリハビリを重ねないと。

「だから、一度休みを取ると現場復帰は難しいんだよな、使えない…」

「終了のお知らせ」

にならない為に。