LOSA_ERIKAの日記

芸能界隈を素人が視た雑感を勝手に書き綴る内容。

「おしゃれイズム」で高畑淳子と高畑裕太に観る生き方

発達障害かもしれない。それはもう、どこかズレてる所を見ると誰しも気づくし解る。母親である高畑淳子が息子の困ったエピソードは、巷でよく聞く

「うちの子全然いう事聞かないで~」

「この間なんて、こんな事してたんだけど」

みたいな、男子のあるある仰天エピソードとは、違う。男子って理解不能な行動をするけれど、それとは違う、違和感。

彼女はそれとは思わず(気づかず)、一般的な「息子ネタ」として話しているのだろうか。

恐らく、違和感に気づいていたら、相応に根回しはするはずなんだ。例えば隠したい場合はバラエティであれば台本を作ってもらう、逆に奇をてらった方が良いと思いアドリブで通すか。彼女は障害に気づかず無意識に後者の方法で息子をキャラ立ちさせようとしているのかと思う。

栗原類のように、「日常生活での生きにくさ」と言った支障をきたす事で気づく場合。悲しむことが多い場合。どうにもならず、成育課程から現在までの自己分析をせざるを得ない状況になった場合など。

あの親子は、そうはならなかったのだろうか。

でも、彼女は薄気づいてきたと思う。それが、今回の「おしゃれイズム」だった。七光りや二世といった我が子を売り出す為の親バカ心からくる親子出演とは、違って見えた。

障害者を持つ身内が社会で介助しながら、世間に出ているソレに見えた。

隣で母親が、息子を優しく介助しながらフォローする。

藤木直人と二人で撮ったコーナー企画も、ズレまくりだった。彼は「非モテ系を地で行く痛い青年」として売り出す方向でイジられる生き方をするのだろうか。といっても番組がそういう方向性で撮ってる様には見えなくて。事故。「何言ってるのコイツさっきから」という雰囲気が、藤木直人からカバーしきれないと言った様から見受けられた。

もう、本人達にどこまで気づかせるか、その上でどういう方向で売っていくか、栗原類さかなクンの様に、腕が無いと生きていけない。成功した発達障害者は、少なからずいると思う。そして、この障害を持つ人間は、芸能界だからこそ、何とか生きていけるところがあると思う。

でも、彼は、自覚無しに汚れ役をしている。これは酷いし可哀想な事だと思う。いつまでも母親がカバーしきれる事ではないと思う。抜きんでて素晴らしい演技力があるのだろうか。それさえあれば、発達障害者だからこそ演技と言う分野が他の俳優よりもより一層優れている、という事でも…正直感じない。

早く、彼に何か特異な技術を持たせてあげるべきだと思う。このままじゃ、ただのピエロだ。巷に居る発達障害者のズレをテレビでみせる事で認知させる思惑でもあるのだろうか。献身的な家族によって支えられている発達障害者。だからイライラする事があっても、頑張って生きている彼らに理解をして。なーんて意図は無いとは思うけれど、どうにかして好転して欲しいものだな…としみじみ感じた。

あと、彼は母親が芸能人なので、成育課程でも一般化出来ない。芸能人の子どもが「イジメ」に遭った場合、どう乗り越えることができたか。彼は自己完結型でやり過ごすことで今に至っているのだろう。だからこそ、精神年齢がスッポリ10代前半でストップしているように見える。

また、外見もお直しをしたり、ヘアスタイルやファッションもスタイリストが付いたりと、独特な雰囲気は軽減されていると思う。それを加味しても、どういったスペクトラムなのかを把握した方が、良いと思う。余計なお世話かもしれないけれど、本当に見ていて痛々しいし、親子や彼を見る度に、発達障害者の生き方というものを考えさせられるのだ。

栗原類さかなクンの様に、成功しないと発達障害者は罪、と言う訳では無い。でも、彼の場合はバラエティで良い方向に発達障害者の特徴が活かされているパターンではないから、「悪意はないんだよ」「彼の今の思考は、スタジオ内の進行・空気とは別次元に動いているぞ」と毎回冷や冷やするのだ。誤解されて生きにくい場を自ら産んでいる事も解ってないだろう。

彼に何か魅力が無い限り、難しいだろうな…。母親に依存していないと攻撃されるだろうし、だからこそ母親が傍で彼を介助している。

自覚をして、きちんと自分の特徴を把握したら、覚悟を決めてカミングアウトをしたらまた違う方向性で俳優としての生き方が出来るかも知れない。俳優じゃなくて、タレントとして色々とキャラ役割を当ててみて、彼がどこに収まるか、周囲も事務所も試行錯誤出来るかも知れない。

とにかく…親子は辛いかもしれないけれど、己を知るところから始めた方が良いと思いました。

おしゃれイズム、全然もう…大きな中学生が背伸びして大人に話しかけて、大人が白けて変な空気になってる画にしかなってなかったし。これも一つのオシャレなのだろうか。

これはこれで、新しいジャンル・キャラ確立になるのだろうか…。

自分の特徴を把握すると同時に特異な技術を身に着けたり、同時に同性の友達を沢山作って、ソーシャルスキルトレーニングを積んだ方が良いと思うなあ…。

高畑淳子が亡くなっ場合、彼は一人残りの人生を空回りばかりして過ごす事は目に見えてる。

要となる人物は、姉かな?マネージャーか?解らないけれど…

とにかく、発達障害者がいかに周囲に違和感を与えているか。それをテレビを通じてみる事・知る事が出来ただけでも、良かったのかな…もし、彼の様な人物が身近にいた場合、怒りや苛立ちや悲しみを受けず、理解する事、対処方法、周囲が悟らなければいけないのかな。

福祉に優しい昨今とは思えないけれど、個人単位で出来る事、思いやりや気配りなどは出来るはず。