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LOSA_ERIKAの日記

芸能界隈を素人が視た雑感を勝手に書き綴る内容。

「はあちゅう」という存在意義に違和感と社会

大げさなタイトルを打ってしまったけれど、気付いたベースでざっくりと。

とある記事を読んで、はあちゅう氏の黒歴史となった原因を知って、(商売なので多少編集で内容を盛ってあるとは思うけれど)成育過程や格差社会をしみじみ感じた。

努力してどうこう出来る範囲では無いレベルの、身の丈に合わない学校生活は、精神的にも生徒の心理的負荷やねじ曲がった方向性で成長しかねない。彼女の学校生活において、周囲の大人・教職員の手助けが圧倒的に欠けていたのだろう、自分自身という存在の基軸を置いて学校生活を送る事が出来ずに高校を卒業した。

私の周りの人間でそう言ったタイプの人間は、大抵退学や休学したり粗相をして家庭教育を学校側で重きを置き、一人の生徒に対して手厚いサポートを施されていた。勿論寄付金も数口増えるのだけれども。

退学した生徒は、同水準の私立中・高に転向し、環境を変えるなどして人格形成が捻じ曲がる事を家族が回避させていた。

はあちゅうは、色々な事情があったのだろう。その学校を逃げ出す事が出来ず、ひたすらスクールカーストの底辺を歩むことになった。

怒りや妬みや劣等感が渦巻き、その邪な気持ちが反動で今、はあちゅうは銭稼ぎをしている。生まれながらにして絶対的地位に生まれた人間と、そうでないソコソコの女子。絶対に覆る事が無い社会的地位を、彼女はコンプレックスを糧に、銭集めをしている。

彼女が社会にもたらした事は、騙されたり捨てられたり泣きを見る様な弱い女性が男性に立ち向かう処世術という精神論を与えた事かな。タイトルはあおりっぽいけれど。

素直に「劣等感を抱かないで」「貴方には人権があり女性としての生き方に価値のある存在でもあるのよ」みたいな女性に対する道徳方向で行けばよかったけれど…。カネの味が忘れる事が出来なかったのだろう。

金が無いなら欲しがるな。私とは合わない。金がないなら私とは価値観が合わないので。

彼女にとって利用価値の無い人間からの要望は、はっきりとこの位冷たく距離を置いた方が得策と学習したのだろう。黒歴史時代に居た富裕層の子達と肩を並べたい。基本はお金がベース。自分の本を買う事で私腹を肥やしたい。読者が金である。

彼女は身の丈を知ろうとはしない。まだ高みに行きたいと思っているのだろう。自分にとって一番の適材適所で自分なりの一番の幸せを見つけようとはせず、社会や男性に吠え続け、弱い女性達を囲んでオタサーの姫になり、株も持って黒歴史時代の同級生とは違う存在になる事で、負け組とは一概に言えない存在になる事を選んだ。

自立して経済的にも生きていける女性になった。手立てを必死に持ち続ける事が必要だけれども。そして、精神的に父性の不在、精神的弱者の母の下、そして今も尚、決して満たされる事の無い彼女の中の安心感。精神的な愛情を手に入れる事は、こじらしてしまった、あの黒歴史を変えられなかった時点で、容易い事では無い事は明白で。

彼女は可哀想だ。でも、世の中の女性の「モノの見方」「生き方」を変えるきっかけを与えた、必要悪な女性だ。下品なくらいの対男政策。女性カーストの底辺として、そうとう不利な生き方や対応を男性にされたんだろう。

彼女が全て悪いわけでは無い。今の「前向きな生き方を考えられるような」女性がいるのも、黒歴史電通時代の非人権的で底辺として強いられた過去が彼女が今を生きる銭となっている。

でも。せめて、せめて多感な思春期だけでも親から離れて暮らしたり、転校したり、人格者な教師や教育者が居れば…彼女がここまで苦しまなくて済んだのに、とも思う。

小説家もだめ、コラムもダメ、モデルもダメ、だからブログ。早い段階できちんと生徒を指導できる大人達がいれば、はあちゅうという生徒も、正しい方向を向いた正しい努力が出来て、一人の女性として個性的でいながらも今より真っ当な人生を歩んでいたかもしれない。

毒親、

周囲の大人

か弱い自分を正しい方向へ奮い立たせる夢

格差の中で

何故、自分の子どもを卑屈にさせる様な環境に「教育現場」として選んだのか。教育系毒親のエゴか、見栄か。

そして「転校する」という発想が当時の彼女には無かった事、それがとても不憫でならない。

幸か不幸かねじ曲がった女性「はあちゅう」は、最早このまま必要悪として弱者的女性をリードするアイコンになるしかないのかもしれない。
 
中途半端な金持ちは、欲を持ってはいけない。子どもの教育さえコントロールできない。
「金の魔力」に憑りつかれた、はあちゅうの親は、はあちゅうに。そして、はあちゅうも「金の魔力」に憑りつかれ、黒歴史時代の生まれながらにして社会的地位が決まっている超富裕層な同級生と未だ憧れを抱いているままだ。
 
母親は、実家の両親の下で、娘二人を育てる事は出来なかったのだろうか。
父親は、娘の心理的負荷を汲み取る事が、ここまで出来ない状況だったのか。
 
社会にとっては大きな転換点を与えてきた女性だけれども、その人個人として見る限り哀れな気分にさせ何とも言えない不安な気持ちにさせるのだ。
 
学費が高い学校であっても、親そのものが毒親・精神衰弱な親である場合。
周囲のサポートが無い限り子どもに負の連鎖として生きるしか選択肢が残されない。
 
はあちゅうのこの「負」は、社会にとって女性にとって吉となる術に何が何でもなって欲しい。