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LOSA_ERIKAの日記

芸能界隈を素人が視た雑感を勝手に書き綴る内容。

フリーの「ジャーナリスト」もピンキリ

大手新聞会社に十数年以上勤める間、賞をとったり、人望もあり、社内でそれなり以上にやり切って、それでも「会社」から出た方が取材するメリットが何かしら在って、会社や同業者から惜しまれつつ退職し、フリーになった人も居る。

その一方で、大手マスコミに対して自分自身が承認欲求を満たす事が出来ず、コンプレックスを抱えたまま、虚勢や怒りや虚無感やらの反動でフリーとしてジャーナリストを生業とし、フリーとしてジャーナリストになった(堕ちた)人も居る。

後者の人間を度々見てきたけれど、何だか品性の欠片も無くて、正直言って「柄が悪い大人」に見えた。鬱じゃないけれど、必要以上に言葉に対して神経質になってて、冷静さを欠いている感じ。被害妄想や自意識過剰だとか、その類を感じる。生活が懸かってるんだから、当然と言えば当然なんだろうけれど、その類の人達に知性や教養は感じない。「ああ、ハブられた人なんだな」と言うのがよく解る。

マスコミは、組織の中でいかにうまく世渡りが出来るか、そういう人となりの人間を採用する。つまり、憎めない・可愛がってもらえる人・友達や親友として紹介できる人などなどなど。角を立てず、それでいて芯を持っていて、上手く表現できる人。

とてもじゃないけれど、正直言って後者の人間は、組織では上手く立ち回る事が出来なかったんだろうな(出来ないだろうな)、上手く入社できたとしても、長くは持たないだろうな(5年前後でクビか辞めてしまう)という人だというのが、うっすら透けて見える。

固有名詞は出さないが、フリーのジャーナリストで大抵炎上している人は、そのタイプ。

一方で、大手マスコミに居ながらにして、そして、それなりの職位に就いていても何かしらの失言や粗相をする有識者もいる。世渡りも上手いので、シンクタンクに勤務したり大学で教授職に就いたり、テレビのコメンテーターをしたりするけれど。外見こそ品性や教養が滲み出るけれど、性格の意地悪さの見え隠れは威圧感としてビンビンに伝わってくる。なんだろう、あの独特な感じ。

新興メディアか大手既存メディアか、フリーか大手マスコミ所属か、色々一長一短かもしれないところだけれど、一概には言えないぞ、という事で。

もっと言ってしまうと、変な人達のせいで、実力のあるフリーのジャーナリストも肩身が狭い思いをしてる人達も沢山居て、取材しにくかったりするんだろうなーと思う。「自分も含めて本人達に実力があれば別にそんな事は気にしないけれど。」と毛ほどにも気にしない人も居そうだな。

大手既存メディアで権威を持つ卑しい有識者が居たとしても、やっぱり「ブランド」の力は強い物で、「ああ、やっぱり〇〇社か」と思われても、その会社の記者自体を目の前にしても批判したりは出来ない。

そういう意味では、やはり大手既存メディアって強いよな、と思う。

どっちがタチが悪いか、と言えば、当然口も達者で世渡りも上手い、大手既存メディアで権威を持つ卑しい有識者の方。お粗末な内容であったり憶測や推測の域から出ていなかったり、子どもの駄々の様な炎上をするフリーのジャーナリストは、正直無視をすればいいだけの話。

なりたかったんだろうなあ、記者に。自分がその身の丈に合ってないこと、理想が現実に追い付いていない事、向いていない事に気づいてすらいない30代以降の人達…。

フリーのジャーナリストというか…何かの活動家だよなと思う。もっと自分の過去を振り返って、そこから正しい方向を向いて正しい努力をして、その時代に満たされなかった欲求をキチンと満たして、人生やり直しをして欲しいものだ。寒々しいし…。

でも、某フリーのジャーナリストで、そう言った類の人と話をしてたり、やり取りを見聞きしていて、そもそも発達障害の恐れがあるんじゃないかな、と思う人も居た。発達障害の症状と上手く記者職の適正に当てはまっていれば良かったんだけれども、自己満足の域から脱してない人、という印象。キチンとデスクの下で教育を受けて下積みをして…という事をしていても、いずれ外れてしまうか、開花するかギャンブルなタイプ。

自分の症状や性格をキチンと理解して世間様と上手くすり合わせを出来ているタイプは、それなりに世間から評価を受けたりしているけれど…。

なんか、色々考えると、「この人、何でこんな事してるんだろう」と思う人も、実は病気を持っているタイプかも知れないし、この手の疑問は深くてデリケートな問題を孕んでいるのかな、と思った。