LOSA_ERIKAの日記

芸能界隈を素人が視た雑感を勝手に書き綴る内容。

犬山紙子氏の転換点

どこかのサイトで、犬山紙子氏(以下、犬山氏)のインタビューを読んだ。

何だか人生の10か条なる様な自論を展開していた内容だったと思う。

 

その中で、「自分の身の程を知る」という様な項目があり、それについて自分のエピソードも交えて書かれていた。

「あ、色々痛い思いをして成長した方なんだな」と思った。

勘違い大人にならなかった犬山氏

随分前に、ビートたけし阿川佐和子氏と他ゲストが現代の若者層・男女について語っていた番組があり、そこに

犬山氏も出演なさっていた。

自身がつくった造語の説明や、IT界隈で流行っている恋愛市場的な内容を、笑顔で堂々と限られた時間の中で端的に説明なさっていたと記憶している。番組自体は良かったと思う。出演した彼女は役割を全うしたと、私は思った。

同時に、嫌な予感もした。オンエア終了後、周囲の人たちに無言の圧力で「ああ、叩き潰されるんだな…」と思った。

「楽屋できちんと低姿勢過ぎる程に挨拶周りするんだぞ!」

「根回しは必要以上にしたかな」

「腰低いくらいでちょうどいいんだぞ」

私の勝手な不安が脳裏を過った。

 

その後、「TVタックル」で若者が各々の主張をする回。若者(10代20代前半?)を集めて現代社会や40代以上の大人について各々の主張を論じる内容だったと思う。

内容も彼女の専門と逸れているし犬山氏は勿論、その回には出演していない。

ラストで若者陣が大人達に対して「結構話せるもんだなと思った」(だいたいの主旨)に対して、たけしと阿川氏が笑顔で言った「大人の残酷な脅しと警告」が放送された。

特に、豹変した大人達の態度や厳しい言葉の数々に、若者たちの固まった表情に、私は心が痛んだけれど成長痛に内心応援した。大物芸能人や業界人からのキツイ仕打ち・通過儀礼を与えられて、若者たちは幸せ者だ。

若者陣のメインとなる某男性は「あの一言で頭が真っ白だった。恐怖だった。楽屋で指が震えながら着替えて気づいた。僕の着ていた下着が冷や汗がびっしょりだった。楽屋に帰っても皆も沈黙してしまってた。あの時言われた言葉が頭から離れず震えが止まらない。しばらくしてようやく皆、重い口を開いた。『自分のあの発言はダメだったのかな』『私が主張したい事はちゃんと言えて良かったはずなのに、今は恥ずかしい。なんでなんだろう。』皆、楽屋で混乱していた。」(だいたいの主旨)と言っていた。

本当に、お疲れさま。今は、皆の受けた衝撃が強すぎて、おかしな方向に育たない事を祈りつつ、「叱って貰えて、良かったね」という気持ちでいっぱいになった。

あのオンエアを思い出し、同時に犬山氏の事も思い出した。

犬山氏は時すでに30歳を超えていたと思う。彼女は…出演後、周囲の大人達から、それと無く諭されただろうか。

下衆な事を思っていたら、思い出した。彼女は、岡田ナンチャラという大人から、気持ち悪いネタに挙げられ、そのネタを記した某ノートが

某被害者女性によって流出されてしまった事があった。

彼女に関わらず、大なり小なり色んな意味で被害を被った女性はあまりにも多く、犬山氏の夫が火消しに邁進したと記憶している。

私が知る限り、この頃から、彼女が(以前の様に)IT界隈で露出する事自体、軽減してきたと思う。私が周知していないだけかもしれないけれど。

 サイトでみた「身の程を知る」と言うのを読んで、私の個人的に彼女に対する今までの人となりが、一気に変わった。安心とでもいうのだろうか。

あくまで私個人目線で見た「犬山氏の成長」という実感だけれども。
 
サイトに挙がっていた画像で観た犬山氏のお顔は、どこか吹っ切れたかのような清々しい表情をしていたと思う。
皮肉な事に今までヒットを飛ばしたような、恥じらいの無い本を書いた著者とは思えない様な、「大人」の言葉が綴られていた。
 
承認欲求が満たされ、岡田ナンチャラの一件が何とか終結し、精神的にも何とかひと段落がついた事で、「人として」ようやく真っ当に安定なさったように感じた。
以前は拗らせた反動で「お金を稼ぐ」事をしてきたと思う。
 
でも、献身的な旦那さんの支えと、社会的に一時的に成功した充実感を胸に、彼女にはようやく得た「普通の幸せ」を実感してもらいたいな、と思った。
そのサイトのインタビューは、今までの彼女の背景を知ると、とても説得力があった。同時に「自分を理解できる賢い女性なんだ」と思った。
IT界隈にいる勘違い女史達と犬山氏の違い
よく、自分の弱点を見つめて、前進に向けて自分磨きをしている女性は沢山みかける。
その多くが、本質的な「つまづき」は見て見ぬふり(或は本当に気づいてないか、敢えてスルーしているか)をして、「つまづいた」所・崩れたところからやり直さず、
自分磨きに頑張る女性ばかりだ。
 
でも、犬山氏は、根本的な自分自身を把握し受け入れ、悟る事が出来る賢い女性だと、実感した。これは、女性に限らず、とても難しい事で。自尊心が傷つく様なグチャグチャした汚い弱点。それをその時は解ったつもりでいても、本質的に理解し悟りの境地にたどり着く女性は、なかなかいない。それが出来る女性だったのだ。
その人に適したタイミングも大きいとは思うけれど。
拗らせた女性から、ようやく真っ当な大人として浄化した姿を見れて、私は(誠に勝手ながら)とても感動した。
 
今後も、犬山氏の成長を見守りたいな、と思った。
 
結論:色々なフリーライター系女性やその路の専門家女性いるけれど、最悪東村アキコ氏の様な女性には、是非ならないで欲しいな、と思った。

イッテQの大島親方復帰と入院復帰したスギちゃんの共通点

 

 

ベッキーの事は色々思う所を過去に書いてきたので、今回は書かないのでご了承ください。タイトル通りです。

 

 

実力低下のまま復帰する事の悲劇。

イッテQ大島親方の存在意義

「ああ、時代が変わったんだな」と思いました。大島さんが復帰し現場に戻った存在感で場の雰囲気が一気に覇気や面白さが溢れだした!…とは全く思えなかった事が恐怖を感じた。マジです。

彼女の居場所がなくなった気がしたからです。

出産した人間が職場復帰するな、とは決して思いません。

ただ大島さんに「芸人の力」が急激に低下した気がしました。新人芸人が虚勢張ってる感じ?緊張してる感じの方が強くて、面白さが全く…。

でも、安心したのは、ゆっPを「一喝」したあの「威圧感」。そこは錆びてないな、と思ったので、彼女たちのマネージメントや監督的なポジションの方が適職では。

「お笑いリハビリ」さえ面白くなかった。まだテレビに出すレベルじゃあ無かったと思う。本人もそれは感じてるんじゃないのかな。親方返還に異議を唱えたのは自分の実力低下の自覚があったんじゃないかな、と思った。

実力が衰えると職場復帰しても居場所がないって世知辛い…。

過去の人にならぬように、姿だけでも視聴者に見せたスギちゃんパターン。

彼も売れに売れている真っただ中に現場の事故で入院し、復帰したけれど…見事な復帰とは言い難かった。番組の帯は「スギちゃん復活」と題した程スタッフも他の芸人も彼の復帰を喜んだ。当然「元気であるポーズ」だけで済むはずもなかった。ネタを見せてようやく視聴者mお芸人同士も安心する訳だし、ディレクター側も「まだ健在」と認知する訳で。

詰めが甘かった。

ガチでの身体の完治をアピールした事で存在感を視覚的に認識させる目的だったと思う。事務所側は。何かネタをさせてもちょっと気の利いた一言で済むと思っただろう。

けれどそうはいかなかった。本人も感じただろうけれど、思った以上に、肝心の芸や合いの手の歯切れが悪かった。挙動不審だった。丸で素人の様な間に、現場が一生懸命取り繕って、逆手に取ってスギちゃんをイジル方向性に舵を取って、何とか終えた。

「スギちゃん!今はお笑いリハビリ!リハビリしよう!」

「そうそう!戻ってきた!?そのノリ!!帰って来て!」

と、ガヤや雛型も必死だった。意外性にウケは取れててそれはそれで美味しかった形になったけれど。

二人の共通点と言葉に対する脳機能の低下の恐怖

そこで二人の共通点は、どんなに口達者で芸を売りに第一線で活躍していた人達も、ひとたび「一般人」としての期間が長期にわたると、頭の回転が鈍くなる。

よく、腕は鈍っちゃいないね、と聞くけれど、手は覚えていても、口が武器の人達は別なんだな、と思った。トークだとアドリブが多く、そうなると適切な語彙をいかに良きタイミングで引き出せるか。言葉が出てこない。ああいう表現ってなんていうんだっけ。ノリが思い出せない。脳機能って言葉をつかさどる所の方が手先の作業や動作よりも早く衰えてしまうのだろうか。

私は、正直なところ、物事を把握する力や語彙や表現、人名や表現力が明らかに衰えている事を実感している。テレビを視ていても理解できない事もある。矛盾点だらけで、何度も巻き戻して見直してしまう。

「何でだろう」そう考えた時に思ったのは、明らかに会話量が減ったからだ。人の間、空気、忘れてしまったかのようだった。

通勤で嫌と言うほど何年も通った路、駅、懐かしいという気持ちよりも不安でいっぱいだった。都内の地下鉄に乗った時、同年齢の女性を見て自分が時代に取り残されたかのような感覚だった。外見、基本動作。浮世離れとでもいうのか。オノボリさんになった気分を味わった。子どもの初めての東京見学みたいなサマ。挙動不審だったと思う。

何よりも咄嗟に言葉が出てこない。皆が求めてるノリは解るのに、身体と言葉がノリに追い付いかない私。

大島親方と、スギちゃんの復帰した時の姿と自分が、重なった。痛々しかった。

世間様と第一線で復帰する為には、日ごろから友達や家族とトークしないとダメだ。特にコミュ障を持つ私は正しい対人スキルも低下しているだろう。

 

結論:ペルソナを見つけて日頃の相手を見つけて、リハビリにリハビリを重ねないと。

「だから、一度休みを取ると現場復帰は難しいんだよな、使えない…」

「終了のお知らせ」

にならない為に。

SMAPのカラクリを何故、世間は知り得たの?ジャニーズ事務所が怖いファンたちのイジメの心理

SMAPに対する悶々とする思いは皆が既に書き綴っていると思うので、私は別方向から書いてみたいと思う。

そもそも、ジャニーズ事務所の派閥争いを知らなかったら、私達一般市民(世間)は、SMAPに対して同情や激励と言った形では無くて、突然の解散情報に「不仲説」「ギャラ問題」などと言った下衆な憶測が働いたと思う。要は見当違いなデマがデマを呼び阿鼻叫喚な悲鳴の渦に満ち溢れた世間になっていただろうと思う。

そうならなかったのは、長年ジャニーズのファンの方々の間では常識だった?ジャニーズ事務所内の派閥争いが、世間一般にも知れ渡った事から、我々は、SMAP謝罪会見を「酷い」「可哀想」等と言った同情や激励するスタンスで受け取れた事と思う。

でも、もっと根本的な事に私は疑問を抱いている。

そもそもジャニーズ事務所内の派閥争いを何故ファンが知ってるの?

どこからその情報がファンに漏洩した?という事。そしてそれがほぼほぼ正しい情報で知れ渡っていて、特にジャニーズ事務所は対処もせず、そのまま放置。老舗事務所で大物アイドルたちを包括していて安パイだからファン離れもせず胡坐をかいても痛くも無いからか?

ジャニーズ事務所に苦しめられているアイドルを見過ごせるファンたち

なぜそこまでアイドルたちを苦しめてきているジャニーズ事務所を、ファンはそのまま「派閥(しがらみが合ってアイドル達が可哀想)の話は常識」として特に何もせずにいられたのだろう。ファンなのに。

SMAPがここまで大事になって、ファンを超えて一般世間がツイッターやらFBやらで声を荒げて当人たちの心理状況を気遣い現状把握をして色々なツールジャニーズ事務所批判をしている。ファンでもないのに。

トップアイドルが、まさかブラック企業社畜、過労、激務にあえぐ自分達サラリーマン、サラリーマン女性達自身と重なる境遇だったとは、と激しい共感を覚えたのかもしれないし、そうした社会問題が背景として世間が動く後押しをしたのかもしれない

世間が動いたことでSMAPの置かれた状況が周知される事となり、間違った解釈でSMAP解散騒ぎをする事もなく今に至っている。

これだけ大きなアイドル解散問題が、これだけ正しく周知されるって、凄い。

大抵は幾通りものある事ない事なバカげた噂話で騒がれる物なのに。そういう時ってファンによる情報は凄いのだけれども。

私はやっぱり、何故、ファンに派閥争いが漏れているのか・対立状況に対する説明対処もしないのか、という事と、ファンは今までしがらみに苦しめられているアイドルたちを見過ごせたのか。

ファンよりも一般世間の方が余程、声の力を持っているじゃないかと思うし、ファンよりも一般世間の方が人権としての情も問題意識もある事が露呈した。

肖る事も無ければ批判してもファンでも無い為に無傷でいられる一般世間というジャニーズ事務所との距離感がなせる業だったのだろうか。

結局、ジャニーズ事務所から会員情報停止やらペナルティ?なるものに対する恐れからの保身じゃないけれど…ファンは自分の快感を優先したいのであってアイドルは人間じゃあないのかもな、ファンにとっては。

人間っておかれた立場によって正直な行動に出るよなあ…。ファンより一般人が実質味方の数として多く、一般人が声にしてSMAPを激励した事実。皮肉な事もあるもんだなあ。長年のファンは、傍観者のままだったのかねえ。干されるのが怖くて言えない芸能人たちみたいに。

一連の報道で感じた事は以上です。

昔の話。某IT企業のインターンシップで起きた出来事

今から4,5年前だったかな。某IT企業で初めてのインターンシップ制度を採り入れた。採用された学生さんは個性が異なる4名だ。大学のスペックもそれぞれ、質もそれぞれ。恐らく、全く学生の質が異なる4名が協力すると、意外な期待値を超える成果物が出来ると考えたのだろう。

 

結果は見事、不発。不協和音で終わってしまった。

価値観が異なる4名が足並みをそろえる事が出来なかったという以前に、「人ととなり」が水に合わない学生たちが「我慢」しながら各々の野心をすり合わせしながら、目標を達成することなど、俄然無理な事だった。

もっと言ってしまうと、

・「民度」が低くあざとくて野心が高い子

・優秀で真面目に育ってきた生徒が大人のサークル活動の様なノリに乗ってハメを外さなければならない事を大人に強いられる事に耐えるだけで精いっぱいだった子

・冷静沈着で客観的で皆に乗っかる子

・取り敢えず空気を読んでバカになれる子

偏差値がバラバラで違う子達が一緒に高い目標をこなすことなど出来ないのも、解る。

某IT企業は、大人達がハメを外しサークル乗りな社風だった。やる時はやる。その分の地頭の良さは十分に持ち合わせているし発想力も沢山ある。柔軟性もある。ただ、行動や言動が幼く、「大人」「サラリーマン」と言った学生たちが憧れる様な理想的な社会人像とは少しかけ離れていたかもしれない。

自分が仕事をしやすい様な環境が、まるで遊園地。遊び場もあるし、堅苦しい雰囲気は丸でないし、学生がそのまま大人になった様な。

ギョーカイの様な緩い文化の中にありつつも鋭い知性を持ち合わせ「バカと解ってやるバカ」な大人達が働く、出版業界、マスコミ、ラジオ、放送業界、編集者、ディレクターなどとは全く違う。

マスコミの文化人とは違う。IT企業の大人はどこか牧歌的と言うか…非リア充が突然リア充の様な人間になって、自分の事でいっぱいいっぱい。周囲との衝突を避けないような、心が豆腐の様な大人達。

学生たちにとっては、新種な大人だったと思う。

そして、イベント発表時に、インターンの子が数人遅刻。それぞれ連絡していたようだけれども、その情報を時差でつかみ取れなかった社員が「大人なめんな」と痛烈に批判した。

私は、それを知った時、そりゃナメられるような大人じゃないか。と思わずツッコミを入れたくなった。学生たちから見たら、真っ当な大人達、精神年齢が高い大人達、お堅い大人達、それとは違う、非リアで疑似リアなサークルノリな大人達を見れば、この程度の関わり方で良いんだな、と思うわ。

不協和音だった学生たちは結局、「大人なめんな」に対し、どうこうフォローできるわけでも無く。それぞれ自分たちが悶々とした気持ちを抱えながら、インターンを終えた。

それをきっかけに、絆が、と言う訳でも無かったようだ。

私が知る限り、学生の内2人は最後まで某企業のカラーに染まる事なく、堅実なIT企業に内定を貰った。残りの2名は解らない。

解った事は、意外な事を求めのも結構だが、混ぜるな危険的な事はあると思うのだ。価値観が根本的に違っても目指す目標が同じだとか、何か一つ、何か一つ共通点と共通認識が無ければ、組織いや、グループは団結しない。自由な発想でとか、ユルイ事はそれからでしょ?

某IT企業は相変わらず…と言う訳でも無く、分社化を何度も繰り返し、結局の所自分たちと近しい人種と一緒に担当する社を経営して行く方向性で色々な形を変えて生き延びている。

私は、インターンシップ学生たちが観た、大人の一部をどうとらえたのだろう、と思った。「地に足がついてる様で、何やってるんだかこの人達は…」と思ったろうな、と何となく伝わってきた。高みの見物と言うか不安感を抱えて活動してきたのがわかる。

某IT企業が完全に自分達と学生たちを見誤ったんだな、と痛々しい出来事だった。

某IT企業が採るべく学生は寝は真面目で冒険心がある様な茶目っ気のあるキチンとした子達じゃあない。風来坊的な学生たちじゃないと。内2名は、まあそういう学生だったと思う。他二名の彼らが行くべきインターン先は他の外資系IT企業だったかな、と思った。

ミスマッチ程、お互いの悲劇を生む事はない。「大人なめんな」と言った社員も本当に自分たちが見えてないマウンティング野郎なんだなーと、悲しくも痛々しく思った。

そのマウンティング社員はプライベートでブログで同棲中の彼女と一緒に日記を記していたが、彼女に逃げられたようだ。そもそも、同棲中の彼女と一緒にブログって、プライバシーの概念だとか危機意識は無いのだろうか。今後の事も踏まえて、あけっぴろげ。そういうマウンティング野郎だから、自分たち社員の大人のナリも自覚せず「大人なめんな」だなんて発言を、堂々とブログで公開できたんだろうな。

全く…ご愁傷様なめでたい大人達だ…。そりゃ上場をためらうだろうなー。

世間は全裸騒ぎで逮捕されたSMAP草なぎ君のケースとベッキーは同化できるか?

以前、SMAPの草彅君が逮捕された。ググれば出てくると思うけれど、私はあのニュースを見て「相当ストレスたまってたんだな」「酩酊で全裸って学生か。やってる事は一般人の(一部の)大学生と変わらないなあ」と、思ってた。けど、逮捕されるまで、相当な事をやらかしていたそうで、「度が行き過ぎてしまったか…」と哀れんだ。

アイドル可哀想!

国民的アイドルである事で、他の芸能人と比べてダメージが相当酷かったと思う。これは不平等だなあ、気の毒だなあ、と思う。有名税じゃないけど、こういう所でも大きく「代償の差」が出てくるなあ、と。でも、国民的アイドルの逮捕に世間は温かく受け入れた事が印象的だった。

ベッキーと草彅君の違いって何?

互いに優等生だ。水面下でストレスの発散をしていた。国民にとっては健康的な芸能人に見えていた。だから「一度の過ち位…」という具合で。草彅君が迷惑を起したのは、ご近所の人達だっけ?これって公害だよな。お酒で酔っぱらって身内でバカ騒ぎして。「まあまあ」で済ませた。それを世間も受け入れた。

でも、ベッキーに関しては、世間は賛否両論。芸能人たちのベッキー擁護に違和感や疑問を抱いている。

悪いのは下衆。ベッキーも悪いけど、近寄った下衆の方が悪い。

ここまできたらベッキーには貫いてほしい。もう少し待てれば良かったのに。

等など。

一方で、

ベッキーの代償は大きい。何を観ても嫌なイメージしかない。

顔を出さないで欲しい。何でカットできなかったの?不愉快。

明らかに、草彅君のケースと世間の動向が違うのだ。スポンサー云々もそうだけれども、ラインのやり取りが生々しく、これが決定打となっただろう。世間と同じツールを使い、プライベートな芸能人は健康的ではないという現実と、一般人と似たような下衆さを健康的なベッキーがやっていた。普通以下の一般人と化してしまった。

草彅君も同じだ。けど彼が犯したケースは、虎視眈々、下心が見え隠れした様な行動では無く、「ストレスによる圧迫感が爆発した」感があり、同情の余地を世間にも受け入れる事が出来たのだろう。

矢口真里と近しいケースか

そう考えると、ダメージは彼女ほどではないけれど、矢口パターンに近いと思う。言い逃れできない現場・ラインツールが見つかってしまった。

どのつら下げてテレビに出ているのか。という共通点。

ただ、ベッキーは擁護する芸能人が沢山いる。そこが、矢口と違い、草彅君と同じ。やらかしたパターンは矢口と同じ、草彅君と違う。

ベッキーパターンという新しいパターンが、今確立された。彼女は今後、禊を受けてどの様な形で芸能界を活動して行くのだろう。

不倫がばれ大変な目に遭った一般人層が支持するのであろうか。

追記有:吉田豪が言うベッキーと個人的に感じたベッキーについて色々

 2016年は早々、ベッキーの話題でニュースをかっさらったと思う。北朝鮮の水爆実験の事も埋没したと思う。近隣諸国の国際情勢を上回るニュース。日本の芸能界(関係者各位や一部ファンなど)ベッキーという存在の大きさを感じずにはいられなかった。

ベッキーって優等生なの?

 昔、某ラジオ番組で吉田豪氏は(以下吉田氏)、ベッキーについて、「優等生過ぎて隙が無い」「言ってる事がすべて正し過ぎて人間らしさが感じられない」「自分が光になりたいって、陰の存在や日の当たらない人達を見下してる様にも取れる」(だいたいの主旨)みたいなことを言っていた。

 取材するにあたって、手も足も出なくて、弱みや人間らしさが全く見えなくて…という内容だったと思う。

 似たような事を私の周りでも何人か、男性編集者も言っていて「ベッキーって、実は悪そうに思いません?」と裏を一生懸命探していた様に私には見えた。

 吉田氏に然り、私の周囲のアンチベッキーに然り、ネット上のアンチベッキーに然り、「何か裏があるんじゃないか」という意見や、「完璧すぎるから腹が立つ」という批判内容が目立ったけれど…。私はベッキーの弱いところをふと、テレビを視た事があったから、「世渡りの為に完璧を演じる、普通の女の子だ」と思った。

弱者に嫉妬するベッキー

 昔、さかなクンベッキーと、ベッキーの後輩の女の子と一緒に釣り?に行く番組があった。番組の詳細は覚えてないのだけれど、ベッキーの後輩の女の子(モデル?)を一生懸命ベッキーが気遣ってあげて、ロケ地での収録現場のハウツーなど、優しく接してあげてた。緊張しているのがこちらまで伝わって来て、その都度ベッキーは「大丈夫大丈夫!」「これ持ってカメラさんに向いてあげよ!一緒に!イエーイ!」とか。

 なかなか良い子だなって思ったし、先輩の鏡だなあって思った。だんだん、彼女も慣れてきたのか、笑顔が出てきて、リアクションも出来る様になって、コメントも大きな声で言える様になってきた。

ベッキーも「あ!いいよいいよ!ちゃんと回してる!?よかったよかった」「うんうん!良い事言うわ~!なかなか言えないよ!」とか、段々一緒に気の利いた合いの手をしたり、和気藹々とした雰囲気の画が取れていたと思う。

いよいよ船に乗ろうとした時、カメラさんが「狭いから。二人被る。」と言った。するとベッキーが「あ、映らないですよね。ちょっとどこうね。」と後輩に導線の指示をした。

すると、カメラさんが「ちげーよ。ベッキー邪魔。どいて。彼女の顔が撮れない。」とイライラしながら吐き捨てた。

ベッキーは間髪入れず、「ちょっ…この人に邪魔って言われたんですけど…」と半ば周囲に同情や共感を得る様な目つきで周囲見渡してた。

カメラはフェードアウトし、彼女の所へ。キョトンとして、作業をこなしていた。

その数年後だったかな。ベッキーが業界内でスタッフに細かい気配りや気遣いが出来ると、評判になったのは。

世渡り上手なベッキー

「とにかく良い子」「収録前のアンケートにも必ずスタッフに対する労いの言葉を一言添えている。」

色々嫌な経験をして、それを隠して良い子に転換出来たんだ。根回し上手という事で。そう思っていた。吉田氏が「正し過ぎる」と言うのも、多分人間不信じゃないけれど、言葉が前後の脈絡なしに編集されたりするのを必要以上に脅えて、「良い事しか言えない」んじゃないのかしら。

男女関係や遊びに関しては

 不倫は良くないし悪い事だ。ただ、ベッキーはそれ以前にすっぱ抜かれない程度の遊びは散々してきていた…と聞く。業界の芸能人だもの。今更、ピュアなイメージはある訳あるわけがないんだけど。今回は相手が、ジョーカーだったかなーと。

 自分が伸び伸び出来る為に世渡りや根回しの為「気遣い気配りのぶりっ子演技」し過ぎて我慢の限界・鬱憤やストレスが溜まっていたんだろうな。

  しかも、31歳で、その手の類を経験したという…火遊びと言うか遊ばれるというか、そういう地雷を踏むのが、意外に遅い年齢で驚いた。20代半ばから後半が相場だと思ってたから。

 自信があったんだろうなあ…。気が付いたら、止められない所まで来ていて。相手は「卒論を出す」所まで来ていて。そりゃ双方ともに本気だと思う。

 相当の事故だったと思う。ベッキーは最悪。相手は下衆。ベッキーは、一度壊れたメンタルを積み直すべきだと思う。スピリチュアルな綺麗事ばかり言うのではなくて、本来の自分も大事にしつつ、マイペースに。周りからどう見られてるか、優等生に作り込んだ自分ではなくて、優しい後輩思いの自分の事を大事にしてくれる皆が好き、と言える所まで、さかのぼらなきゃな、と思った。

 

 結論:ベッキーは優等生では無くて、基本優しいけど「よくある女心」を隠すのが上手いだけ!我慢のボルテージが噴火して火遊び三昧してたら、本命に行き着いたけど、ジョーカーでした! 

 

追記:北川景子とDAIGOの結婚記者会見があった。夫婦の完璧な存在感とベッキー謝罪会見を観て思い出したのは、吉田氏のインタビューした時のベッキーの事について。「自分は太陽になれる様な存在になりたいって…それって光が当たってない『影の様な人達が居てこその自分』って事ですよね。失礼だけどサラっと優等生な発言が凄い」(だいたいの主旨)というセリフ。

ベッキーは、見事に太陽となって、北川景子とDAIGOを更に光り輝く存在になったと思う、この皮肉。見方によっては太陽じゃないか…ベッキーがギラギラに黒光りに輝く事で北川景子とDAIGOをより神聖な夫婦に仕立て上げた感。

インタビューを思い出すと、本当に…皮肉な事もあるもんだなと切なくなった。

ベッキーには子どもから20代で得るべき承認欲求を、きちんと満たされてから、キャラ作りをしないと、心がどんどん壊れて拗れるままな気がするなあ…。

取り敢えず、体重を元に戻す。

やっぱり、素敵だなあ、と思うのは着物美人

 

彼女は可愛らしいアラフォーで、茶髪、小柄で、背も低くて、着物の肩の所がダボダボなんだけど、胴や足はラインがスラっとしてて。上質な着物だってのが、観て解る位。

 

その為には、私の場合、肩幅の肉付き、背中の肉、太ももの幅を減らさないと。体重を55→50kgに戻す。本当は48kgにしたい所だけど、ヘロヘロになっちゃったからなあ。

 

あと、ヒールの減りも相当ダメージが高い。靴の事も考えるとなあ。あと、二の腕。洋服の袖の部分も余裕があるといいんだけど、今は「着られる」だけ。「着こなす」と言う感じではないし…。

ウェスト部分は体質からか十分細いんだけど、 太ももと二の腕がなあ。という事で、女性の日の前に限らず、運動しましょ。

体重の事はあまり気にせず、「絞る」方向性で。