デヴィ夫人がベッキーに贔屓にしてしまう理由
失うものも得るものも無い事からか、今までデヴィ夫人は思う存分、芸能界のアレコレを語ってきた。
※デヴィ夫人については、日本人からは想像を絶する人生を命からがら生き抜いた事からの見解を、吉田豪氏がインタビューの様子を色々と某ラジオで語っていたので、省略。彼女はお金や損得勘定といった事は、最早考えていない。という事。
共感を呼ぶものから、酷いな、と思う事まで。
「情」や強い贔屓目で見ているような気がしてならない。
自分の生い立ち、イッテQなどで「優等生な彼女」が自分を持ち上げ続けてきた事による嬉しさや安心感や女王気分、孫娘の様な存在…
自分の背景やベッキーに対する恩など、色々な事が重なって、自分にはしてくれなかった声援を彼女にしたいという「貢献」する気持ちが芽生えたんじゃないのだろうか、と思った。
正しい路ではなくて、茨の道の上で愛をはぐくむ事が、デヴィ夫人にとって見過ごせない事だったのだろうか。
とは言え、相手の奥様に対して離婚を訴える事は、行き過ぎた親心だと思う。
お節介な姑みたいな。
私個人は、デヴィ夫人のたどった人生から、そういうアドバイスになる事も、あり得ない事では無いと思った。 私情が強く入った意見だと思う。 デヴィ夫人も「情」に左右されて、キャラクターそのものが、何だか変わってきたな、と思った。 成長、ではないけれど、性格が、明らかに変わった。
今回の一件で見せた様子は、過去にもあっただろうか。 不倫擁護派なのであれば、今までそういった類の事を経てきた芸能人も全て「愛」として擁護してきたのだろうか。 たまたまベッキーが自分のお気に入りだったからだけだろうか。
別に、デヴィ夫人はジャーナリストでも何でもない。ただ、しがらみが無いからこそ、言葉を選ばず本音を語って来ていた方だ。 そういう人が、今回ああいった発言をしていて、私は、デヴィ夫人の情の脆さについて、考えてしまった。
デヴィ夫人の情の脆さに触れてしまうと、対象となるものに対して大きなお叱りをする事実に、デヴィ夫人という人間のはかなさを感じた。